これまでに読んだ小説の中で本当に面白かったのはコレ

20世紀の幽霊たち ジョー・ヒル

20世紀の幽霊たち ジョー・ヒル20世紀の幽霊たち(2008) ジョー・ヒル

(ストーリー)
このデビュー作で名だたる賞をかっさらい、
ジョー・ヒルの名は一躍世界中に知れ渡る。
不気味な世界に彩られた驚異の短編集。

(感想)
読みだしてすぐに「とんでもない新人が現れた」と誰もがうなる。
これは何年かにひとりしか登場しないゴールデンルーキーのデビュー作だ。
収録されている作品のクオリティーはかなり高い。

まず冒頭の序文からしてすごい。
こんな所でこれほどの才気を感じさせてくれるのだから、
本文はどれだけすごいんだろうと思いながら読み始める。
すると中身は傑作の名に値する短編にいくつも遭遇することになる。

短編集である以上ダメな作品もやはりあるのだが、良い作品はすさまじく良いので、
駄作には目をつぶることにする。

この作者は恐怖というものに対して、特別な感性を持っているらしい。
絶対音感のような「絶対恐怖感」とでも言うべきものが、
多分そなわっているのだろう。
一般人が気づかずに過ごしているような落とし穴や、
邪悪なものの存在を感じ取り、それを我々にも見えるように示してくれる。
その力量は新人離れしていて、もはや天才という言葉以外では表しようがない。

この『20世紀の幽霊たち』を読んでいると天才とそうでない者の違いが、
おぼろげながら見えてくる。

天才とは何か。
その定義は多様で、いまだに定まっていない印象があるのだが、
とりあえず
「凡人には習得不可能な力を有する者」
と考えてもいいだろう。
それが「天才」と「高い能力を持っている人」の違いだ。

小説家を例に考えてみよう。
天才の代表格は村上春樹。
対して「能力の高い人」は、伊坂幸太郎や重松清など。
伊坂幸太郎や重松清などの小説なら、普通の人でも書けそうな気がするから。

だが、村上春樹のような小説はどう考えても書けそうに思えないし、
凡人が何百年修行を積んでも不可能だろう。

何かが違うのだ。

一般人と村上春樹では、何かが違う。
何かが足りない。
彼は得体の知れない何かを持っている。
読む者の心を射抜くための、「謎の能力X」のようなものを。

そして、それが何なのか、凡人にはわからない。

ゆえに、
天才に対して持つイメージ「努力しなくても凄い人」というのは、
正しくはないと思われる。
努力をしているか、していないかは関係ない。

天才の持つ能力は絶対音感のようなもので、
ある、ない
でしかない。

0か100か、なのだ。

絶対音感というものは幼児期までしか習得のチャンスがなく、
そこで発達させなかった場合は不要なものとして捨てられてしまい、
大人になったらもうどうやても身にはつかない。

天才の持つ力もそれと同じで、
ある時期をすぎるともうどうやっても身につけることが出来ないものなのだろう。

裏を返せば、
じつは誰でも身につけることが出来たもので、
誰でも身につける可能性があった能力なのだ。

しかし我々凡人はそれを身につけそこねた。
その能力を捨ててしまった。
使わなかったせいで、いらないものとして整理されてしまった。

天才はそのみんなが手に入れられなかったもの、
育てきれずに退化させてしまったものを有している。

天才という言葉の甘美なひびきや天才に対する憧れの気持ちは、
そういったことに由来している。

ジョー・ヒルという作家もこの「謎の能力X」を持っている。
そしてそれはおそらく、日常生活では厄介なものなのだろう。
絶対音感を持っていると耳に入ってくる音がすべてドレミに変換され、
鬱陶しい思いをするのと同じように。

天才は悲劇的ではあるが、それが創造などの方向にむかうと、
とてつもないものを生み出してしまうことがある。

ジョー・ヒルもそれをやってのけたのだ。
活目して読むべし。

ちなみにジョー・ヒルという作家の経歴には、ある秘密が存在する。
存在していたと言うべきか。
すでに公表され広く世間に知れ渡ってしまっていることなのだから。

それが何なのかをここで書いてもいいのだが、
彼の才能の根源にかかわることのため、
変な先入観を植え付けかねない。

興味のある人は『20世紀の幽霊たち』のあとがきで確認するといい。


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